Concept:2回目の愛
私の両親も65歳を超え高齢者となった。じわりじわりと近づいてくる両親の介護や、その先に訪れるであろう自分の老後。子供のいない私は一体誰に看取られるのか…。そんな不安は年々実感を持ち、私のなかで確実に膨らんできている。
88歳の祖母の写真を撮影して6年以上が経つ。祖母は祇園で舞妓として華々しく生きた経歴を持っていることもあり、私の興味は尽きることがなく、祖母に会いにいっては写真を撮るだけでは飽き足りず、たくさんの質問を投げかけてきた。その度に祖母は昔の記憶からいくつかの美しいエピソードを話してくれたりし、まるでそんな美しい記憶が祖母を支えている様にも見えた。私はそんな祖母を1人の女性として尊敬し、写真を通して見つめ続けたいと思っていた。
ある日いつもの様に祖母に会いにいくと、別に何を言われた訳ではないが、なんとなく拒否された感覚があった。祖母は最近かなり弱ってきていて、母の介護なしでは何も出来ない状況になっていた。ご飯を食べること、服を着ること、歩くこと、トイレをすること、…なにもかも依存しないと生きられない存在になっていた。二世帯住宅で暮らす母と祖母は、祖母から片時も目が離せないという理由で介護用のモニターを設置し、ほとんど24時間体制で祖母を見守るシステムが構築されていた。いつしか母のことを「おかあさん」と呼ぶようになった祖母は、用事がある時はモニター越しに「おかあさん」「おかあさん」と呼びかけ、母はその度に2階から駆け下り祖母のところへ向かうのだった。多い時には1日に20回。たまに代わりに私が下りると「おかあさんは?」とあからさまに残念な表情になる祖母。祖母にとっての「おかあさん」の代わりは母でしかなく、それは娘を見ているまなざしとは違う様に思えた。私が実家に帰ると、母は私との時間を割く様になる。それが祖母にとっては邪魔なのだと解った時、祖母に拒否された感覚の理由が解った気がした。まるで小さい子がお母さんを取られて拗ねるようだと思った。
祖母と母の間には、誰も立ち入ることの出来ない「なにか」があった。それがなにかを言葉にすることは難しい。しかし介護モニターを写した写真を見た時、私はハッとした。私の存在がない、祖母と母の2人だけの関係を見た時、その何かが微かに写っている様な気がした。祖母は私の知る祖母ではなく、なんとも無防備で、はかなげにも見えた。それは祖母が母にしか見せない、赤ん坊の姿であると私は思った。
逆転した母娘は、いま2回目の関係性を築きあげているところのようだ。そこにはこれまで積み重ねてきた互いの記憶よりも、ただただ目の前にある日々の些細な喜びと苦悩に満ちているようにも見えた。他者が介入出来ない2人だけの世界で、肉親であるから故に、愛も憎しみも表裏一体となるなか「愛」という言葉で片付けられる程簡単なものではないことは重々承知しているが、2回目の関係にも1回目の時と同様に、母娘の「愛」があればと願ってしまう。
2060年には1人の高齢者に対して1.3人の現役世代が支える世の中になる。80歳を超えた2060年の私は「おかあさん」と呼べる誰かがいるのだろうかと、やはり不安は尽きない。
※展示に使用されている文章は小説「シズコさん」(佐野洋子氏)より引用。